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2017年8月

細々と夏野菜を

3月に10年近く借りていた畑を返し庭の片隅での畑仕事?になりました。P1010204_2

畑とは名ばかりの畳2枚にもならない狭い土地での野菜つくりでは、今までのようにジャガイモや玉ねぎなど根野菜を作るのは無理です。夏野菜を全部植えるのも無理、プランターを利
用せざるえをえません。

一応、昨年の秋うえた玉ねぎを6月の半ばに収穫し(収穫は昨年の半分にもなりませんでした。)そのあとにきゅりと茄子や紫蘇を植えました。トマトは4本全部プランタです。     up         

                                   (蔓バラのアーチが畑の入り口です)

茄子とゴーヤは1本ずつをプランターで、P1010191_5

もう1本ずつを畑で育ててていますがなぜか畑のほうが元気がありません。

地植えにした胡瓜は、水やりをしなくてもよい今年の天候に助けられここ1ヶ月買わずに済んでいます。

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プランター植えのトマトはミニトマトと中玉を2本ずつ植えたの

ですがやはり今年の天候ではミニトマトは何とか収穫できていますが中玉は2~3個の収穫にとどまっています。

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3年前からリビングの緑のカーテン用に低位置となっているプランターにゴーヤが10数個ぶら下がっていて、昨日やっと1本目を収穫しました。

青空がもどれば収穫も本格的になるのかなと期待しているところです。happy01 

P1010179_4収穫した夏野菜です。茄子の収穫もはかばかしくなく1週間に1本がやっとです。飼料が足りないのではと慌てて飼料を追加しています。

ナスは9月になっても収穫可能なのであきらめずに育てていくつもりです。

P1010183_2

昨日は短時間ですが午前中青空が顔を出し気温も31どとひさしぶりの真夏日になりました。午後は雲に覆われ霧雨が、断続的に降るあいにく天気に戻っています。

幸、今日は1日真夏日の予報、朝から青空がのぞいています。ひまわりも元気を取り戻して咲いています。

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猛暑お見舞い申し上げます。

今年の夏は仙台も猛暑を覚悟してなっていたのですが7月25日ごろから状況がおかしくなってきました。

7月末までは30度前後の暑さはあったのですが、1日青空という日が少ないまま8月になり、2日に梅雨明け宣言になりました。  梅雨明け宣言の翌日から気温が25度前後に下がりぐづつき気味に、あの台風の後2日後だったかに、午後の数時間真夏のような暑さになり慌てて梅の土用干しなららぬ、短時間干しをしたのですが、そのあとはあけたはずの梅雨のような日が過ぎています。今日も朝から霧雨のような雨がつづいていて うっとうしいことこの上なしです。rain  rain  rain

関東を挟んで西日本は連日猛暑とか、信じられない思いで毎日天気予報とにらめっこしています。東北のこの天気は今週末まで続くようで、ああ、青空が見たいという思いで一杯です。今年の天候も異常気象に振り回されていますね。

中部地方から西の地方に住んでいる方たちには、猛暑お見舞い申し上げます。sun

くれぐれもお体大事にお過ごしくださいますように

うんざりしているところにPCに写真が取り込めなくなって、何でという思いで時間があればPCと格闘していますが自力ではむりのようで、いまどうしようかなと思っているところです。。

P1010149_21ヶ月ほど前の事、東隣との境であげはらしき蝶々がバタバタしていました。どうしたのかなと思い、室内にもっていったのですが。夫がそのうちどこかに飛んでいくからあったところにおいてきたらというつれない返事、

そうかなと、あったところに戻したのですが、翌日、同じ場所で死骸になっていました。寿命だったのでしょうか、

アゲハにしては地味な色で、もしかして「が」 かなと調べたのですがよくわからないままです。

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海の見える復興、おながわ(女川)

7月の中旬に民生委員の研修で女川町を訪れました。

石巻や汽船沼、南三陸町など他の三陸の港町同様、女川町もあの震災で壊滅的な被害を受け、震災前は1万1000人の人口が今は6千人台になっています。

7年たった今でも仮設に住んでいる人々がいますが、復興もゆっくりですが着実に進んでいます。

バスが女川町に入ったところで語り部さんがバスに乗り込み、復興途中の女川町をぐるぐる回りながら震災当時の状況から、復興途中の現在の女川町の様子を熱心に話してくれました。

40代半ばの女性の語り部さんは話がとても上手で、話に聞きほれて写真を撮るのを忘れるほどした。

女川町には震災後2回おとずれていますが、語り部さんの話で初めて知ることが多く、ただ訪れるだけでなく地元の方の話を聞くことの必要性を感じました。」

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女川町の復興が他の町と違うことは海の見える復興を進めているということでした。

写真はいただいたパンフレットの中の写真ですが、商店街の浜テラスから海を見ることができます。

震災後、街のリーダー的存在だった方がお仲間と一緒に復興には海の見える街にすることが必要と町長さんを説得し、海の見える復興を進めたということです。その時点では多くの港町が復興をどうするか決めかねていて、結局国の進める防潮堤を作ることにになってしまったのです。

平地の少ない女川町は」山を削り、海辺には、海産物の倉庫や、工場、人の集まる商店街、中間地には学校や、役場、病院など公共性の高い建物を削った土でかさ上げして作り、さらに高台に住宅をと新しい女川町にするべく奮闘している途中です。

山を削って平らにした高台には一戸建ての復興住宅、集合の復興住宅の一部が完成し、もう住んでいる方もいました。高齢者の多い町なので買い物に利用する町内バスも運行しているようです。

防潮堤で、海の見えない街の復興を見ている私には商店街から海が見える風景は新鮮で魅力的な風景でした。

 昼食後、私が親しい方への贈り物に利用しているかまぼこ会社の高政を訪問し、蒲鉾を製造している一連の流れを見学しました。

この会社の社長さんが海の見える女川の復興を真っ先に押し進めた方で、実際に蒲鉾の製造についての説明もしてくれました。

語り部さんによると震災後、困難な状況のなか多くの人の協力で、残っていた蒲鉾の材料やかろうじて動く機械で、蒲鉾を作っては被災した人人へ1ヶ月以上提供したということです。

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語り部さんの話に感動した一行は競って蒲鉾をお土産に買い求めました。

今回の訪問で女川町と女川町でただひとつの蒲鉾工場、高政のことを詳しく知り、どちらも応援したくなった訪問でした。


 

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